デコログまたアウト

デコログhttp://www.dclog.jp/kidokazu/「でも」余命氏のサイトを拡散しています。
今迄はサイトを直接貼り付けずにQRコードを添付すればエラーにならなかったのですが、今回は拒否られました。
余命三年時事日記を余 命 三 年 時事日記と変え、「共謀罪施行」よフレーズを消したら投稿できました。共謀罪施行は禁句なのでしょう。笑笑。


 


余命2017/7/5アラカルト

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引用



.....数カ所、修正した。また具体例については、確認した。残念ながらご指摘の通りだった。今後は、一応、保守の一員としてしかるべき対応をとりたい。








.....共謀罪施行まであと5日だよ。



引用以上


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余命三年時事日記共謀罪と日韓断交

余命2017/07/04アラカルト2

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引用



.....余命の読者は特異だよね。昨年の慰安婦問題の日韓合意なども典型で、余命読者は冷静だった。事象の表面ではなく、枝葉末節にとらわれずに、それを除外して本質を見る手法が身についているのだろう。
 1を見て100を知るのは難事だが、中韓については検索オールラウンド余命ブログがあるからな。これが現在1713項目、A4で約6ページ平均として1万ページある。
 文字通りの中韓政経軍百科事典で、これがベースにあるかないかの違いだろう。内容のすべてが事実の時事情報と資料であり、日本再生への実践資料であるから、現在進行形の今、読者は歴史のまっただ中、あらゆる事象の分析と考察する材料には事欠かない絶好の環境にいるのである。
 昨年来の検察の対応分析もいいだろう。第三次まで門前払いが第四次で各地検の対応はバラバラとなった。東京地検と横浜も対応が変わった。なんで?公印がないのは何で?
 弁護士の懲戒請求でも、各弁護士会の対応が違う。何で?
まあ、テーマを掘り下げて展開を予想すると面白いぞ。






.....無手勝流だろう。何もしないのが最良の手ということだよな。
共謀罪施行まであと6日。カウントダウンが始まった。







.....諸悪の根源、日弁連が見えてきましたな。共謀罪待ったなしという感じだが、当然、外患罪の適用がある。安倍総理の集大成。7月11日は大きな転機となるだろう。



引用以上


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余命懲戒請求アラカルト25

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今回は余命氏のコメントはありません。
「四季の移ろい」さんのコメントが大多数を占めています。


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余命2017/07/04アラカルト

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引用



.....参考資料  過去ログ54中国クライシス三峡ダム
余命はこういう関係は好きなのでいろいろと研究している。確かに2017年~2019年はダムの決壊ラッシュ、黄河大氾濫、三峡ダム決壊と何でもありそうだね。
 国土のほとんどが重金属汚染、水も空気も環境すべてが末期的状況になっている。
もう手遅れだから、日本は関わらないことだ。






.....とにかく11日からだね。余命は相変わらず「共謀罪」を使っているが、表題が変わっても内容が変わるものではないから問題はなかろう。組織的テロ、極左集団への反日組織犯罪対策法としての立法であるから、左翼は大変だな。
 郵貯や銀行口座へのフリーは2018年からだが、共謀罪事案での捜査ならマイナンバーはつかえるのである。関係当局は手ぐすねひいてまっているから、芋づるとなりそうだな。
 例のパヨク君たちが共有している郵貯口座だけで、とんでもない大物が次々と...。




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那覇市議選

行橋「ゆくはし」市市議会議員小坪慎也さんのブログです


引用



準備不足も否めない。
パイロットという重い立場ゆえ、退職できたのは僅かに三か月前。

決死の覚悟とは、まさにこのこと。

 

しかも、場所は沖縄。
メディアの論調も含め、「元・自衛官」を前面に押し出した彼には、暖かい声ばかりではない。

明確に「彼の存在そのもの」を否定する、そのような者だって多々いる地域。

 

さらに、場所は那覇。
いま世間を騒がせている翁長知事だが、元は那覇市長。

那覇市とは、沖縄左派の牙城であり、議会においては「自民党が野党」という地域。
ただでさえ保守に厳しい「沖縄県の選挙」において、県内でも「最も難しい」選挙区の一つだろう。



引用以上

   

    翁長知事を支援する「オール沖縄」

政党等

社会民主党
日本共産党
自由党
沖縄社会大衆党
民進党沖縄県連
沖縄の風(沖縄県選出の参議院議員2名による院内会派)
新風会(親翁長派の元自民党市議らによる那覇市議会の会派)
おきなわ(翁長県政を支える無所属県議らによる沖縄県議会の会派、旧称「県民ネット」)

政治家 編集

翁長雄志沖縄県知事
城間幹子那覇市長
稲嶺進名護市長(辺野古地区は名護市にある)
赤嶺政賢衆議院議員(日本共産党)
照屋寛徳衆議院議員(社会民主党)
玉城デニー衆議院議員(自由党)
仲里利信衆議院議員(無所属)
糸数慶子参議院議員(沖縄社会大衆党)
伊波洋一参議院議員、元宜野湾市長(無所属)
花城正樹那覇市議(民進党沖縄県連代表)

    翁長派の市長は那覇市と名護市の二市だけです。それ以外の市では反翁長派になっています。最近の市長選挙や議会選挙ではオール沖縄は負け続けています。ならば、全く安心していいかと言えば、「油断大敵」としか言いようがありませんが、そこまで悲観する事も無いと思います。
    さて、沖縄での真の実力者は翁長知事では有りません。彼は傀儡に過ぎません。仲井眞前知事は沖縄タイムスと琉球新報の意向に逆らった途端にネガキャンを張られました。過激な反基地活動家の山城博治氏は英雄扱いされています。           今、沖縄で一番影響力を持っているのはタイムスと新報の2紙です。彼らは、沖縄独特の風習を利用した「おくやみ欄」というコラムで読者を確保しているのです。

    八重山日報やネットの「沖縄おくやみ情報局」も徐々に浸透して来ていますから、2紙の独占状態も少しづつ改善されるでしょう。

    それに、某市議が行っている「残紙壊滅作戦」の対象になるかもしれません。

    最後になりましたが、大山候補の当選をお祈り申し上げます。

   

マスコミによる職業差別

行橋「ゆくはし」市市議会議員小坪慎也さんのブログです




引用



■報道しない自由 
事実、御嶽山の災害派遣においても「海外メディア」のほうが写真・質ともに上だと感じた。 
スポンサーにパチンコ・スロットをもつメディアは、自衛隊への国民の信頼が邪魔なのだろう。彼らは歪んでいる。 
ゆえに報じぬ、伝えぬ、なかったことにしてしまう。

皆様は、以下の写真をご存じだろうか。
陸上自衛隊の公式FBにてアップされている、御嶽山の救助風景である。
見たことがないのであれば、それは我が国の報道が歪んでいる証左に他ならない。 
どれほどの感謝をもって、この姿に応えよう。







【最終報】御嶽山における噴火に係る災害派遣について

9月27日(土)から続く御嶽山における噴火に係る災害派遣は、10月16日(木)18時15分長野県知事からの撤収要請により、撤収しました。派遣規模は、人員延べ約7,150名、車両延べ約1,835両、航空機延べ298機でした。
防衛省ホームページ(最終報)→http://www.mod.go.jp/j/press/news/2014/10/16b.html

写真:Facebook 陸上自衛隊 Japan Ground Self-Defense Force




 

 

 

 



 

 

 

 


 

 


引用以上



   「報じない」、だけならばまだマシでしょう。マスコミは言葉を切り取って全く逆の意味に変える事もしています。

    

余命2017/07/03アラカルト2

余命2017/07/03アラカルト2

余命三年時事日記さんのブログです。




http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2017/07/04/1712-20170703%e3%82%a2%e3%83%a9%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%88%ef%bc%92/ 



引用





.....日弁連の異常なまでの反日と朝鮮志向は日本人には理解しがたいところであろう。それは日教組による偏向教育と韓国における国家レベルの歴史ねつ造の産物で、ここ1年、とくに弁護士への告発や懲戒請求によって、彼らの知られたくない事実が巷間あぶり出されてきている。
 異様なまでの反日DNAは裏返してみれば中国に対する属国DNAであり、余命の実体験からいっても中韓の対等関係はあり得ない。外国人によって与えられた自由平等、人権にしがみつくのは彼らの生存の最低条件なのだ。
 過去ログで国家間の優劣と民度の比較について述べているが日中、日韓にはあきらかに
日本>中国>>>>韓国という関係がある。
 いかなる場面であっても、朝鮮人が中国人の上に立つことはあり得ない。政府間レベルの交渉であっても報道されていない部分は実に悲惨である。まさに隷属関係である。ほとんどの場合、恫喝され、凍りつき、沈黙というのが実態である。
 日本人には理解しがたい長年の隷属関係が恐怖という条件反射をひきおこすのだろう。
 その参考資料としてWikipediaから引用した。

(資料)
迎恩門(げいおんもん、ヨンウンムン)は、1896年まで存在していた門(牌坊)である。現在は、大韓民国ソウル特別市西大門区峴底洞(ヒョンジョドン)101番地の独立公園内の独立門の正面に、2本の迎恩門柱礎だけが残っており、大韓民国指定史跡第33号となっている。
概要
迎恩門にて清の冊封使阿克敦(中国語版)を恭しく迎える朝鮮国王
この門は、漢城の西大門である敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた。中国の皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代の王が、中国の皇帝の使者を迎えるための門であった。1407年には慕華楼という使臣のための建物が建てられていたが、1536年に金安老の建議でそのそばに「迎詔門」を立てた。
 しかし1539年に明の使臣で来た薛廷寵は、使臣は中国皇帝の詔書や勅書や下賜の品々を持ってくるのに、門の名前が「詔だけを迎える」ではおかしいと言いがかりをつけ、朝鮮側は名前を「迎恩門」に変えた。1606年に来た明の使臣朱之蕃が書いた門の扁額が国立古宮博物館にある。
 日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で、清の冊封体制から李氏朝鮮は離脱した。こうして大韓帝国が成立、独立協会は迎恩門を取り壊し、1897年に独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てた。迎恩門に隣接して建てられていた慕華館は独立門建立時に独立館に改名された。
崔基鎬によると、迎恩門は明代および清代に朝鮮国王が三跪九叩頭の礼によって使者を迎えた場所だという。
崔基鎬は、
1895
年に日本が日清戦争に勝つと、李氏朝鮮は清国の属国としての桎梏をのがれて、独立国となることができた。(中略)1893年には、ソウルの西大門の近くにあった迎恩門が破壊されて、その場所に独立を記念する西洋式の独立門が建立された。
 迎恩門は、李朝を通じて、明、あるいは清の皇帝の勅使がソウルを訪れたときに、朝鮮国王がそこまで迎え出て、勅使に対して九回叩頭する礼を行なう場所だった。今日、独立門は韓国の史蹟32号に指定されている。しかし、今日の韓国民のうち、いったい何人が、そこに韓民族にとって、はかりしれない災禍をもたらした象徴である迎恩門が建っていたことを、知っているだろうか。
 日本にはその歴史を通じて、大清皇帝功徳碑も迎恩門もなかった。私たちから見ると、何と羨ましいことだろうか。かつて李氏朝鮮は中国への卑屈な服従関係と、不正腐敗を覆い隠す名分として、慕華思想という言葉を用いた。誇りを失った李氏朝鮮の末路は、亡国しかなかった。
と評している。

三跪九叩頭の礼
手順
叩頭 (hengkin) とは額を地面に打ち付けて行う礼である。三跪九叩頭の礼では、
「跪」の号令で跪き、
「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「起」の号令で起立する。
これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。
紫禁城の前庭での国事祭礼において、皇帝の前で臣下が一斉におこなった。また、琉球王朝や李氏朝鮮では、中国からの勅使に対し、王が王都の郊外に出向き、自ら三跪九叩頭の礼で迎えていた。その郊外の地が琉球の場合は守礼門であり、朝鮮の場合は迎恩門である。
叩頭礼は本来、神仏や直系尊属に対して尊敬の念を示すために行われた礼であった。明の時代になって、大臣たちが皇帝に示す一種の礼儀として叩頭礼が始まったが、当時は「五拝三叩頭の礼」であった。藩属国の朝貢使が入京して皇帝に会うときも、この礼をすることが必要とされるようになった。満洲人は天に対する礼拝に三跪九叩頭の礼を用いており、清が北京に入って後、三跪九叩頭の礼が明代の五拝三叩頭の礼にとってかわった。
各国の対応
琉球王朝
守礼門(上の綾門)
琉球王朝は冊封使を迎えるために立派な門、通称守礼門(写真下)をつくり、「守禮之邦」の扁額を掲げ、宮殿にてこの三跪九叩頭の礼をとっていた。「守禮之邦」の守禮とは皇帝に対する礼を意味する。
国王并三司官以下諸官三跪九叩頭仕、勅使旅館江被相越候間、三司官以下諸官先相備罷通、龍亭彩亭旅館江居、三司官以下三跪九叩頭仕退去
— 
「通航一覧・琉球国部 正編 巻之二十三 琉球国部二十三、唐国往来」、重点領域研究「沖縄の歴史情報研究」
李氏朝鮮[編集]
「丙子の役」、「迎恩門」、および「中国朝鮮関係史」も参照
ホンタイジに三跪九叩頭の礼をする朝鮮の仁祖王(大清皇帝功徳碑の銅板レリーフ)
1636
年、後金のハーン・ホンタイジが国号を清として新たにその皇帝に即位し、李氏朝鮮に朝貢と明への出兵を求めた。朝鮮の仁祖王が拒絶したため、ホンタイジはただちに兵を挙げ、朝鮮軍はなすすべもなく45日で降伏した。和議の条件の1つに大清皇帝功徳碑を建立させた。仁祖はこの碑を建てた三田渡の受降壇で、ホンタイジに向かって三跪九叩頭の礼を行い、許しを乞うた。
龍胡入報, 出傳汗言曰: "前日之事, 欲言則長矣。 今能勇決而來, 深用喜幸。" 上答曰: "天恩罔極。" 龍胡等引入, 設席於壇下北面, 請上就席, 使淸人臚唱。 上行三拜九叩頭禮。
— 
仁祖34卷, 15 正月30
イギリス
詳細は「広東システム」を参照
1793
年、イギリスの外交官ジョージ・マカートニーは、乾隆帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、これを拒否してイギリス流の儀礼を押し通した。貿易改善交渉、条約締結は拒絶され、帰国した。1813年にはウィリアム・アマーストがやはり三跪九叩頭の礼を拒否し、嘉慶帝への謁見が許されなかった。
明治時代
1873
年、台湾出兵の処理に赴いた特命全権大使副島種臣は、同治帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、古典(五倫)を引用して立礼を主張し、最終的に立礼で通した。





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